薬師寺今年2回目の薬師寺です。近鉄西の京駅から歩いてすぐです。 門が見えてきました。 薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。 天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見たのだそうです。 その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたのだそうです。 空が青くて、建物の赤が綺麗がより一層綺麗に見えます。 ちょうどこの辺りで、携帯のバイブがふるえました。 見るとpleさんからでした。 『薬師寺は今の内にしっかり見ておかないと、 東塔が長期間(15年とか)解体修理されるそうです。』 なんどgood timingなんでしょう。 え~、そうなのですか。 それは大変、しっかり見ておかないと。 pleさん、いつもniceな情報とアドバイスありがとうございます。 m(_ _"m)ペコリ うん、↓これがその東塔ですね。 塔は本来お釈迦様のお墓を意味します。 インドで梵語のストゥーパが音訳されて卒塔婆[そとうば]となり、それが塔婆、更には塔と表現されるようになりました。お釈迦様のご遺骨(仏舎利[ぶっしゃり])を埋葬して盛り土をしたものが原型です。 その塔婆を遠くからでも拝めるように、また尊敬の気持ちから、より高い台の上にお祀りするようになったのです。 薬師寺東塔は一見六重に見えますが、実は三重の塔です。 これは各層に裳階[もこし]と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをかもし出し「凍れる音楽」という愛称で親しまれています この等々は、薬師寺で唯一創建当時より現存している建物で、1300年の悠久の時を重ねてきた歴史をその姿から感じられますね。 その横にあるのが西塔です。 塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に使われている色を「丹[に]」色と呼び、万葉集の一節に あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり と歌われている事からも当時の平城京の華やかさを表現する意味もあったのではないかと思われます。 「青丹良し」とは奈良の枕ことばを意味するのです。 等々は1300年前に作られましたた、西塔は昭和56年(1981)に復興されたものです。 色はもちろん連子窓の有無や屋根の反り、基檀の高さ等、東塔との違いが多く見られまが、まさにその違いこそが1300年という歴史の流れを表しているのです。 東塔と西塔の後ろにあるのが金堂です。 金堂には薬師三尊像がいらっしゃいます。 薬師三尊像(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)は白鳳時代 薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、医薬兼備の仏様です。 人間にとって死という一番恐ろしいものを招くのが病気です。体が動かなくなるのも病気なら、身の不幸、心の病も病気です。 欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これ皆病気ですね。 今回ちょっと気になったのは、金堂を出ようとした時に裏から見えた薬師如来様の薬師如来台座です。 薬師如来が座っておられる台座には、奈良時代における世界の文様が集約されているのです。 一番上の框[かまち]にはギリシャの葡萄唐草文様[ぶどうからくさもんよう]その下にはペルシャの蓮華文様[れんげもんよう]が見られるのです。 また、各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人[ばんじん])の裸像が浮彫りされています。 さらに、下框には、中国の四方四神(東に青龍[せいりゅう]、南に朱雀[しゅじゃく]、西に白虎[びゃっこ]、北に玄武[げんぶ])の彫刻がなされています。 正にシルクロードが奈良まで続いていたのですね。 私達は、あまりの見事さにしばらく茫然と眼を見張り続けたのでした。 それは、写真撮影禁止だったのでもし興味のある方は薬師三尊像と薬師如来台座を見て下さいね。 さて、このあと唐招提寺に向かったのですが…。 この続きは次回です。 |